昨年9月24日、新宿山吹高校のすぐ近く、新宿区早稲田南町7に明治から大正にかけて活躍した文豪・夏目漱石についての記念館「新宿区立漱石山房(そうせきさんぼう)記念館」がオープンした。設計者はフォルムデザイン一央株式会社。

 「漱石山房」とは、夏目漱石が1907年に入居し、1916年に亡くなるまでの晩年に暮らした家のことであり、この記念館も1945年の空襲で焼失した跡地に建てられた。最寄り駅は早稲田駅で、450メートル離れている。この漱石山房記念館は2002年に就任した中山弘子・前新宿区長のマニフェストとして計画されたもので、漱石公園の隣に建っていた区営住宅が老朽化に伴い移転することとなった為、空いた土地に建てることとなった。中山氏が提案した段階からそういう話はあったものの、当時区営住宅に居住する住民がいたため、案は出ては消える状態であったが、今回中山氏の区長退任後、中山氏のマニフェストがついに実現した。

漱石山房記念館の内部

 館内1階には中央に夏目漱石の一生を紹介したグラフィックパネルと休憩スペースが設置されている。休憩スペースの一角にはモニターも設置されており、映像で夏目漱石の一生を追うことができる。

 入口左手にはカフェ「CAFE SOSEKI」も併設されている。また、建物の東部には漱石山房の一部と庭の復元が展示されている。

 2階には夏目漱石が書簡や作中に残した語録が書かれている石板が壁に並べていたり、グラフィックパネルを用いて夏目漱石の作品や関係人物が紹介されている。他には夏目漱石が知人に送った書簡や葉書、坊っちゃんの冒頭原稿など、夏目漱石が執筆した書籍の現存する初版や原本の実物が掲載されている。

 地下1階には夏目漱石について扱った書籍と夏目漱石の著書を再出版した書籍が収蔵されている図書室がある。なお、この図書室内にある資料は持ち出しすることができない。

 また、館外の入口付近には夏目漱石にまつわる植物が植えられており、パネルに植物の名前や夏目漱石との関わりが書かれている。

 1階の導入展示やカフェ、地下の図書室には無料で行くことができるが、漱石山房の復元模型や常設展示の観覧には300円の観覧料が必要だ。(小・中学生の観覧は100円、未就学児と障害者手帳所持者は無料)

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新宿区役所担当者にインタビュー 漱石山房記念館開館のあれこれ

 記念館設立の経緯について、本紙は新宿区役所文化観光課・北見恭一さんにお話を伺った。

――漱石山房の施設構成は、どのように決められたか。
 北見恭一さん(以下北見):新宿区では、最近3つの記念館が連続して建てられています。新宿区では、区役所だけで記念館の建設を決定するのではなく、検討会というものをたてます。学者や専門家、子孫や建設場所の近隣住民の方、また公募で集まった一般市民の方、たとえば漱石に興味がある方、計28名で構成され、区役所の方と一緒になってどういう施設を作るかを検討していく。24年度に8ヶ月ほど、どれほどの大きさのものにして、どのような施設を立てるのか、そういった基本計画を立てていきました。

――検討会の一般人募集は?
北見:区の広報紙やホームページ、さらにはチラシも作り全国の文学館や文学者記念館など関心の高い方が集まる場所にチラシをまいたりしました。

――全国の…ということは、新宿区民以外の方も、検討会に参加できたのか?
北見:そうですね。しかし、あまり遠くから参加することはやはり難しいので、新宿区やその周辺にお住まいの方が多いです。大半が東京にお住まいで、若干名は近隣県の方もいました。

――漱石山房の開業には、どれほどの費用がかかったか。特に、何に一番お金がかかったか。漱石山房の復元にはいくらほどかかったか。
北見:これが区役所が公式に、多方向の取材に対してお答えしている情報なのですが、約12億円かかりました。まず、新宿区は土地が高いところが多いのですが、区営住宅の移転により新宿区が持っている土地が確保できたので、土地代はかかりませんでしたね。

――1階に、漱石山房の復元があるが、あの建設にも億単位のお金がかかった?
北見:勿論そうです。あれだけを取り出してという資料は今日持ってきてないので詳細は不明です。

――1階の待合場所にある夏目漱石の著書の再版は、読んだり借りたりすることはできるか?
北見:貸出はしておりませんが、その場で読むことはできます。

――2階に夏目漱石の語録がプレートに書かれているコーナーがあるが、何故あのようなコーナーを作ったのか?
北見:元々、この記念館は夏目漱石について特集した記念館でありますが、夏目漱石といえばやはり作家として有名な方なので、人としての漱石を知ってもらうだけでなく、作家としての漱石を知ってほしいんですね。作家というのは、名前が知られていても作品そのものは忘れ去られていて読めなくなっているという人が多いんです。だから、漱石自身を知ってほしいというよりも、漱石の作品や言葉、創作活動のことを知って頂きたい。そのためにはまず、(2階に進んだときに)印象に残る言葉というものをもっと味わって頂いて、そこから進んだところで漱石の作品について知って頂きたいというコンセプトです。

――語録プレートがざっくばらんと、不規則的に作られているのは理由があるのか?
北見:整然と並べたのでは面白くないですし、単調になってしまいますから、皆さんの関心を集めるための仕掛けになっています。それからこれは字が小さいのですが、あれも意図的なものでして、読んでもらうように仕向けているんですね。また、あれはほぼ年代順に並べられている。あくまで漱石が作家になってからですが、入口から進んでいくほど後の時代のものになっています。

――本紙は高校生世代も読者層として含んでいるが、高校生やその他学生層の人々に対してメッセージやコメントはあるか?
北見:夏目漱石は僅か11年、それも人生の晩年にしか作家として活動していませんでした。しかし、漱石はその間に15もの作品を書き上げ、それらの作品は戦前から戦後、そして平成の今であっても、たくさんの人々に支持され続けています。それほど長い間人々に読まれ続けてきた作家はそうそういません。そのような作家を、ご自分の感性で是非味わって頂きたいです。

――本紙は山吹町・早稲田・牛込といった新宿区東北部の住民をターゲットにしているが、これら地域住民に向けたメッセージはあるか?
北見:夏目漱石は新宿で生まれ、新宿でほとんどの代表作品を書き、そして新宿で亡くなりました。しかし、新宿区民の方でもそれをご存知でない方がかなり多いというのが実情なんですね。そのことを皆さんに知って頂きたいし、誇りに思って頂きたいです。

(取材・文=磯田航太郎)