昨年9月24日、新宿山吹高校のすぐ近く、新宿区早稲田南町7に明治から大正にかけて活躍した文豪・夏目漱石についての記念館「新宿区立漱石山房(そうせきさんぼう)記念館」がオープンした。

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 今回は開館日に本紙編集長・磯田航太郎が記念館にお邪魔し,その様子をレポートする。

 早稲田駅を出て、早稲田通りから漱石山房通りに入り、道なりに進むこと5分。漱石山房が目の前に現れた。2階の外壁に白と黒のタイルが使われているのを見たときは西洋的な印象を感じたが、一方、ガラス越しに見える漱石山房の復元や手前にある植物は伝統的な和風家屋の雰囲気を感じさせ、夏目漱石が生きた時代―つまり、伝統的な日本文化の中に西洋文化が入り込み、日本社会に和洋折衷の色が強かった時代―を現しているような印象を受けた。開館から5時間以上経っていたが、この記念館のオープンは全国紙にも取り上げられていたこともあり、入口前には十数人ほどの行列ができていた。

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 漱石山房に入館すると、まず目の前に夏目漱石の生涯が書かれているカラフルなパネルが目に入った。

 夏目漱石の生涯が、パネルに幼少期から晩年までの時期ごとに区分分けして書かれていた。筆者は恥ずかしながら夏目漱石に関する予備知識があまりなかったので、書かれていることに驚かされることも多かった。例えば、夏目漱石が幼少期に周りに振り回されることが多く苦労を重ねて過ごしてきたことや、夏目漱石が元から小説家だったわけではなく漱石山房に移り住むまで教師を本職にしていたことなどは私にとっては初耳だった。

 これから夏目漱石の資料を見ていくであろう時に、夏目漱石に関する知識を深めることができたのは非常に嬉しい。

 その後は受付コーナーにて300円を支払い、チケットを購入。入場券を持って先へ進むと、漱石山房の書斎が復元が展示されている場所まで案内された。書斎復元の前に来ると、既に十数人の来館者が集まっており、女性スタッフが漱石山房復元の製作についての裏話を解説していた。写真撮影は許可されているらしく、何人かの来館者は書斎復元を写真に収めていた。書斎復元の観覧には時間制限があるようで、説明時間含めて8分までらしい。スタッフさん曰く、この日は開館初日ということもあり大勢のお客さんが来館していたそうで、混雑を避ける為に書斎復元を見学できる時間を制限していた。

 書斎復元を見て一番印象的だったのは、なんと言っても何十冊、いや何百冊はあろうかという夥しい数の洋書の山だ。10畳ほどしかない書斎に5台もの本棚があり、分厚い本から小さな本まで棚1台あたり百冊以上もの洋書が収蔵されている再現があった。さらには、本棚のみならず床にまで百冊はあろうかという洋書が重ねられており、さながら書店の陳列を見ているかのようだった。夏目漱石の書斎を再現したときここまで書籍が敷き詰められたものになることは、彼がいかに多くの書籍に目を通してきた知識人だったかを視覚的に物語っているだろう。

 書斎復元を出ると、庭や外壁など漱石山房の外部の復元があった。ここには先程いたような案内人はいなかった。どうやらここから先は時間制限もなく、順路に従う以外は自由に動けるようだ。

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 外壁・窓の枠・庭と敷地を隔てる柵―これらは全て綺麗な白塗りがされており、その統一感と真白さが放つモダンな雰囲気や美しさは目を見張るものがあった。しかし外壁をよく見ると、僅かながらにシミや土埃がかぶさったような汚れができているのが気になった。後ほど係員に伺うと、どうやら夏目漱石が住み始めた時期にはすでに築10年になっていたらしく、それを考慮して製作段階でエイジングを施したという話だった。

 また、真白い塗装がモダンな雰囲気を醸し出している外壁や柵とは対象的に、何色にも塗られていない木造の軒先や屋外の廊下や、石が敷かれその上に細長い植物が生い茂る庭園は、伝統的な和文化の雰囲気を感じさせ、初めにこの記念館の外観を見たときと同じような世界観を感じさせた。また、庭園の復元はガラスを跨ぎ、館外の植え込みまで一体化するように続いており、館内には収まりきらない奥行きを感じられるものになっていた。

 また漱石山房復元の脇には、漱石山房記念館の整備のために寄付金をよせた個人や団体の名前が連ねられたパネルがあった。あまりにも数が多すぎて正確な数は思い出せないが、少なくとも300を超える個人・団体が寄付者に名を連ねており、団体に至っては企業から学校、さらにはアマチュアスポーツの団体までも記載されていた。山吹町にできた記念館がここまで多くの支援を受けていること、そして山吹町と縁の深い夏目漱石が多くの人に愛されていることは、山吹町地域紙を創刊した私としても非常に感動的である。

 そして次は、残りの展示を観覧すべく階段を登り、2階へ進んだ。

 上がった時に通りがかりのスタッフに言われたが、どうやら2階は全面撮影NGだそうだ。そのため、恐縮ながら、2階の展示を収めた写真は読者にお見せすることができなかった。

 階段を登ると、石板にも見える大小様々の長方形状のパネルが宙に浮かぶように無造作な並びで貼り付けられている壁があった。よく見ると、夏目漱石の手紙や作品に残した語録が小さい文字で書かれており、パネルの端にはその語録の出典が書かれていた。

 この展示は漱石山房の復元や後述の現物展示に比べて地味ではあると思うが、実は今回の体験取材で筆者の最も印象に残った部分がこれである。夏目漱石は文豪として歴史に名を残した人物であるため、彼の残した文章がそのまま展示されているところは非常に「らしさ」を感じさせた。また、宙に浮かんだようなパネルの並びも、夏目漱石のエキセントリックな作品世界を思いおこさせるものであった。

 語録パネルの展示を奥に進むと、順路では最後になる現物資料の展示がある部屋に辿り着いた。

 部屋の入口すぐには、左右の壁にグラフィックパネルが見え、中央には通り道を挟んでガラスケースが置かれていた。グラフィックパネルはよく見ると4つあり、それぞれ違う色をしており、夏目漱石の著書を時期ごとに分けて紹介していた。そして中央のガラスケースには、その著書の初版ないしは新聞連載の切り抜き、他には原稿の複製が展示されていた。

 書籍は、若干のシミや剥がれなどの劣化こそあるものの、タイトルや表紙の模様などはどれもくっきりと見えるほどに保存状態が良い。ガラスケースに入っているため中身を見ることはできないが、なんの問題も無く読めそうだ。原稿複製や新聞の切り抜きも、旧字体と旧仮名遣いが分かりにくいところはあれど、劣化によって読みにくさを感じることはなかった。

 そして部屋の奥に入ると、橋本貢や野上豊一郎など夏目漱石と親交のあった人物が夏目金之助(=漱石)宛に書いた葉書の現存や、逆に夏目金之助が知人等に送った直筆の葉書や書簡、はたまた夏目漱石直筆の俳句や漢詩の短冊がガラスケースに保存されていた。紙が黄ばんでいたりするものもあったが、どれも保存状態は非常に良く、筆跡や葉書のデザインも鮮明に残っており、これが1世紀も前に紙に書かれたものであることが信じられない程であった。

 こうして、本紙編集長の漱石山房体験取材は終了した。

 今回体験取材したこの記念館は、戦前の文学に疎い私でも中々に楽しめるものであった。導入展示を含めた各所各所にあったパネルの説明は、ビジュアル形式になっており分かりやすかったために予備知識が少なくともパネルで補うことができたし、何より書斎復元や現物展示などを通して、戦前の和洋折衷とした社会で暮らす知識人層の世界の魅力を目に触れて感じられたからである。

 さて、本当は隣にある漱石山房記念館に先立って開園している漱石公園も、同じ夏目漱石にまつわる施設ということで廻りたかったのだが、記念館の豪華な展示に見蕩れてしまっている内に閉園時間の午後6時を迎えてしまい、廻ることができなかった。

 こう書くと乱暴な締め括りになってしまうと思うが、漱石公園に植樹されている植物や、道草庵の展示などは読者の目で是非確かめて頂きたい。

(取材・文=磯田航太郎)