2015年11月1日号(創刊号)掲載
読者諸兄は「自由な校風」と聞いてどんな学校を思い浮かべるだろうか。「えっ!自由な校風なんだから自由なんじゃないの」とか言うあなた。勉強不足だ。
私は自由とは、個人が自らの意思でプロセスも含めて自由に決めることができるという意味だと定義している。具体的に言うなら、時間割も登校時間も服も単独行動も自由であり、許容される学校のことを指すのである。今のところ私が知る限り、それを満たしているのは山吹のみである。
よく全日制の学校で、「我が校は自由な校風です」とアピールする学校があるが、時間割はクラスで決められ、登校時間は朝八時半で一斉登校、制服もあり、クラス・班単位の集団行動を求められるのが普通である。枠にはめられ、教師が敷いたレールに沿うことを強いられる。彼らの言う「自由」とは、枠から、レールから、外れない範囲での自由である。それのどこが自由だろうか。まさしく「虚偽表示」だろう。
自由とは「他人の自由を侵害しない限り」最大限に選択権を与えられることだと私は思う。その点我が山吹高校は、時間割も自分で決められ、登校時間も自由自在、クラスはあって無いようなもの、制服はなく各々好きな服装で、基本的に個人の行動は個人に選択権があるというまさに「自由な校風」を体現している学校である。実際、教員も我々に細かく指図をすることはない。各々が自由に考え、最大限の選択の自由が認められている。それが山吹だ。だから初めて来た人は物凄いカルチャーショックを受けるだろう。しかしこれが「自由な校風」だ。「自由な校風」を求める中学生には「本当の自由」がある山吹への入学をお勧めしたい。
(本紙編集局長=平松けんじ)※肩書きは当時のもの
![YJ11月1日号発行(36J14修正・第1回増刷第2版)[1023]-1](https://livedoor.blogimg.jp/yj_yamabukijournal/imgs/d/5/d59423c3-s.png)
解説コーナー
本紙の記念すべき第1回論説。当時は「部説」と称していた。本紙に対しての学校当局の対応は今とは異なり好意的なものであった。この論説が掲載された創刊号はエントランスのプリント棚で配布され、初号にも関わらず120部前後の頒布数となった。特に人気コーナーだったのが、平松けんじ編集長(当時)のコラム「はしりがき」と論説コーナー。歯に衣着せず平松氏の文章が山吹生の中で話題となった。
さて、この第1回論説ではいわゆる「自由な校風」というテーマが取り上げられているわけだが、本文中平松氏は「本当の自由」と「虚偽表示の自由」について論述しているが、現在の山吹は「虚偽表示の自由」どころか「管理主義・権威主義的社会」になってしまっている。我々は今こそ「自由」とは何か見つめ直し、取り戻すべきではないだろうか。
(解説=磯田航太郎・本紙編集長)