2015年12月15日号(第2号)掲載

 11月15日付の読売新聞の記事によると、自民党は不登校児の学習機会を確保するため、フリースクールや家庭での学習でも義務教育の修了を認めることができる新しい法案を議員立法で国会に提出する。

 明治以来、教育権は国家行政機構の一部である学校が独占してきた。その点において今回の法案は、世紀の大革命と言えるだろう。

 家庭内労働への子供の徴用があった時代は、国家権力の強権の下子供の学習権を保証する必要だったのかもしれないが、もはや明治の世ではない、時は平成である。

 そして、インターネットという便利なツールが開発されてから既に20年近く経っているのだ。何も学校という場での教育に限定しなければならない理由は失われている。別にEラーニングを利用した自学自習システムに教育を委ねても良いのではないか。AIも発達してきているわけだし、そのうち教育用のアルゴリズムが開発されるだろう。

学習者ひとりひとりごとに人生は異なる以上、個人別にデザインされた個別の学習計画に対応できる制度の構築が必要だ。

しかしながら今の学校は個人を集団化・均等化しようとする。このような学校管理政策の歪みは如実に数字となって現れている。

実際、近年不登校の児童生徒が増加の一途を辿っているという。いじめや体罰、そして集団生活に馴染めない「小1問題」や「中1ギャップ」などがニュースで取り上げられている。

私は別に集団生活に馴染む必要はないと思う。今のように個人の自由を不必要に規制し、「道徳心を育む」だの、「公共意識を持たせる為」だの美辞麗句を並べて集団で生活することを強いる体制がそもそも間違っているのだ。個人は個人で尊重されるべきものだ。「全員参加」が聞こえが良いと感じる日本人は未だに軍国主義から抜け出せていない。「全員参加」とは即ち強制徴用の美化でしかない。

そして、いじめや体罰は学校という空間の閉鎖性により発生する事例である。

そもそも四六時中、赤の他人と行動することを強いられるのは本来ストレスである。これを「全員参加」で強制する学校というものは、個人を抑圧するものでしかない。

その点、我が新宿山吹高校は、学習者自らが履修計画を立案できるし、集団行動を強制されることもない理想的な学校である訳だが、このような学校は日本には数えるほどしかないのが実状だ。

今回の議員立法はこのような旧態依然とした軍国主義的学校システムによる教育独占体制に大きな風穴を開けるものであり、大いに期待できる。

(本紙編集局長=平松けんじ)※肩書きは当時のもの

解説コーナー

 この論説はヤマブキジャーナル第2号で掲載されたもので、平松編集長(当時)の価値観が前面に表れている論説です。平松氏によると、この論説を当時通信制課程の教職員に配付した際、賛同の意を受けたそうで、教職員の一部にもこのような柔軟な考えを持つ者がいると思い知らされたそうです。

 本文は、現在の学校教育が閉鎖的であり、昔の大日本帝国を想起させるような人権軽視・個人軽視・集団主義・全体主義的な雰囲気をとどめているとして、新たな教育システムの整備の必要性を説いています。現在の山吹高校の統治手法を見ると、本文の指摘に同感せざるを得ません。少子化の今、なぜ今も不登校が増え続けているのか教育関係者にはよく考えて頂きたいと思うこのごろです。

(解説=磯田航太郎・本紙編集長)