2016年6月1日(第6)号掲載
ラウンジの使い方について生徒会がポスターを掲示し、注意喚起を行うことが本紙の取材で明らかになった。
最近、山吹に余計なルールが増え、自由が失われてきている気がする。山吹は個人の自由を尊重する学校だったはずだ。いつから普通の全日制もどきの学校になったのか。私が入学した当時、同期生は今のラウンジで騒いでる人達とは比べ物にならないくらい騒がしかった記憶がある。しかし当時はぼっち勢が電子掲示板で叩く程度で公式に規制が検討されることはあり得なかった。しかし今回は何故か生徒会で規制が検討されている。
そもそもラウンジというのは、生徒がワイワイ談笑する為の場所だったはずだ。生徒がくつろぐことを何かしら規制しようというのであれば、これはもはや談笑などできない。生徒達は萎縮してしまい、ただでさえ人間関係が希薄な本校において更に人間関係を構築する場が失われることになる。これでは豊かな青春を送ることができず、山吹生の高校生活が無味乾燥かつ殺風景なものになってしまうだろう。
第二に、山吹の特徴というのは、「本当の自由」があるということだ。山吹は「日本国憲法と日本国法が校則」という原則に基づき、他人の自由を侵害しない限り最大限の自由を許容される学校だったはずだ。
別に授業サボって単位落とすのは本人の責任であり、それを教員が咎めることも無かった。あくまで本人の自由意思に委ねるという学校だった。しかしながら最近の山吹は普通の全日制もどきのような学校になりつつある。生徒総会やキャリアガイダンスなどの学校行事に参加することがまるで義務であるかのような発言をする教員が居たり、欠席時数を口煩く指摘するような教員が現れ始めている。
本来の山吹においては学校行事への参加や授業への出欠は生徒個人の自由意思と自己責任に委ねられているはすだ。それを一々口出しされるというのはもはや虚偽表示の「自由な校風」でしかない。
これは山吹の「本当の自由」の危機である。山吹を愛する同志諸君は今こそ立ち上がらなければならない。自由は闘ってこそ守れるのだ。
(編集局長=平松けんじ)※肩書きは当時のもの
◇解説コーナー◇
平松けんじ前編集局長が指摘した全日化への懸念、今まさに痛感しているところです。当時の本紙は学校当局としっかりと張り合うことができていたし、言うべきことを言えていたように思います。
平松氏の卒業後、本紙編集長の職を継承した私に待っていたのは暴力的な弾圧の嵐でした。
まず、新聞部顧問・阿部正教諭が本紙の名称を使うことを禁止したり、報道内容に制限を加えるような発言をしたことで、平松編集長時代のような自由な新聞発行ができなくなってしまいました。これらを受け、私はより自由な報道を行うため、本紙を電子版という形で校外発行する方針を打ち出しました。
しかし学校当局は滝口則次主幹教諭を筆頭に一ブログサイトである本紙電子版の記事を削除するように私に強要しました。「何で削除できないんだよ、あれを!」「法律なんかどうでもいい」という滝口主幹の恫喝の数々は皆さんご存知の通りです。このほかにも生活指導室に拉致・監禁したり、何時間も校長室に拘禁したり、学校当局による不当な行為のは枚挙に暇がありません。
そもそも検閲というのは憲法第21条で明確に禁止されており、滝口主幹や藤田豊副校長らの行った行為は明確に憲法違反です。また、滝口主幹らによる生活指導室への拉致・監禁はもはや刑事罰の対象とも言える行為です。しかも「法律なんかどうでもいい」という滝口主幹の発言は、公務員としての最も重要な適格性を欠いているといわざるを得ません。
これは某退職教員の方の発言なのですが、滝口主幹らの行った行為は「懲戒免職ものの行為」だと言う事です。このような「指導」と称する暴力的な教育が行われている新宿山吹高校はもはや「自由な校風」と標榜することはできないと思います。
私は、自治委員会議長兼会長の職も兼ね、校内での言論・表現の自由の奪還、そして全日化を食い止め、校民の自由と人権を全力で守っていきます。
(解説=編集長・磯田航太郎)